境 内 散 歩


本堂*妙法寺本堂

当山中興17世真超住職代の昭和10年(1934)10月に落慶。総ケヤキ造りで、間口は6間。建築の棟梁は塩飽大工の向井小次郎氏。
本堂内陣には、ご本尊・金剛界大日如来をはじめ、釈迦三尊(釈迦如来・普賢菩薩・文殊菩薩)、不動明王、如意輪観世音菩薩、地蔵菩薩、天台大師尊像、元三大師降魔尊像、大黒天などの御仏像をお祀りしている。
また、堂内位牌堂には歴代法印、檀徒各家の位牌をお祀りしている。 釈迦三尊像は日蓮宗不受布施派時代のご本尊であったといわれ、秘仏・金剛界大日如来座像は寛文9年(1669)に天台宗に改宗して以来、ご本尊としてお祀りしている。大日如来をお祀りしているので「遍照閣」の額が掲げられているが、これは江戸時代文化年間の延暦寺執行・豪恕大僧正の揮毫を彫刻したものである。

[本堂内陣へ参拝する] [秘仏本尊御開帳]


鎮守堂*鎮守堂

もともとは琴平・象頭山三十番神社を移築したものであったといわれるが、当山中興15世真延住職代の文久2年(1862)に再建された。
内部正面の柱梁の彫刻(獅子と牡丹)は左甚五郎作と伝えられている。日吉山王大権現、伏見稲荷大明神、北野天神のご分身をお祀りしている。
(1998/11/14改訂)

[鎮守堂内へ参拝する]


山門*勅使門(山門)

この山門は総ケヤキの四脚門で、明治11(1878)年に起工し、足掛け8年の建築期間をかけて明治18年(1885)の中興15世真延住職代に落慶された。棟梁は塩飽大工の松成元右衞門。
山門の再建計画は江戸時代の中興13世真徴住職に始まったが、日光輪王寺門跡の親王様がなかなか許可にならず、中興14世真禅住職、中興15世真延住職と三代にわたる住職の念願がようやくかなったわけである。


庭園*妙法寺庭園

小堀遠州が築いた庭といわれる。泉水(池)は「心」の文字を表し、石が山から自然に崩れたように配されており、「崩れ石の庭」という。
ヒラトツツジ、松、南天、樫、槙などが植えられており、四季折々の風情を楽しませてくれる。 庭の北西の端には与謝蕪村が絵のモデルにした蘇鉄が見え、その下に滝が流れて池に注いでいる。生い茂る蘇鉄が蕪村の目をひときわ引いたのであろう。

[さぬき庭紀行へ]



蕪村碑*蕪村句碑(門を出れハ句碑)

丸亀市民俳句会によって昭和51年10月に建立された。
「門を出(いず)れハ 我も行く人 秋の暮れ 」
明和3年(1766)から明和5年(1768)の間に数回にわたって俳人画家・与謝蕪村が妙法寺に滞在して大作「蘇鉄図」など6点を揮毫して寺に残した。妙法寺は一名「蕪村寺」ともいう。 この句は与謝蕪村が妙法寺を去ってから6年後の59歳の時の作で、門を一歩出れば自分も道行く人の一人となり、ひとしお寂しさを覚えるという秋の夕暮れの情趣が味わえる。
毎年12月25日の蕪村の命日に、蕪村の業績をたたえ、その遺徳を偲んで「蕪村忌俳句会」(丸亀市民俳句会主催)が妙法寺で開催されている。


一隅碑*「一隅を照らす」碑

比叡山開創一千二百年を記念して、当山檀信徒総代の松田松藏氏の発願によって昭和62年9月に建立された。石碑文字は篠原白舟氏の揮毫による。
「一隅(いちぐう)を照らす」とは天台宗宗祖伝教大師最澄上人のお言葉である。私たちも日々の一隅(今生きるその場所)においてこのお言葉を体して実践したいものである。

天台宗では、全国の宗内寺院を中心に、檀信徒、有縁の方々に呼びかけ、「一隅を照らす運動」を展開している。一隅を照らす運動は、「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」という伝教大師の教えを現代に生かし、自分の生きているところ(一隅)において精一杯生きることによって、一人ひとりが心豊かになり、明るい未来を実現していこうという運動である。
※詳しくは「一隅運動」のコーナーをご覧下さい。

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*蕪村句碑(長尻の句碑)
妙法寺中興四百年を慶讃して、新たに蕪村句碑(下記・長尻の〜)が、大岡真淳住職、大岡真祥師、檀信徒総代の松田松蔵氏、田邨勝美氏、原田稔氏の発願で、平成12年4月に建立されたもの。石碑の揮毫は妙法寺中興第十八世・大岡真淳による。
石碑の句は、俳人画家・与謝蕪村(よさぶそん・1716−1783)が明和5年の初夏に讃岐香川から京都へ帰るとき、当山で俳句を詠み残したものである。
長尻の春をたたせて棕梠(しゅろ)の花  蕪村
と讃岐香川での様々な思い出を胸に、少々長く逗留しすぎたことを詠んだ句である。長尻句の石碑文字は以前に棕梠が植えられていた所に建てられた。棕梠はヤシ科の常緑樹で、残念ながら棕梠の木は平成になってから現存していない。




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2000.05.01更新